テンペストと天変地異はどこかにている

10/13(月)

□オモロスコープ279

家中蒸すわ壁に結露するわ、どうなってんだという陽気。しょうがないので午前中か
らまた洗濯機を『ナイフ』のつづきを読む。昼頃、さーて、そろそろ自転車組み立て
て郵便局行き(彼女から頼まれていた)がてらにサイクリングでもキメてみようかと
思ったところ、一天にわかにかき曇り、雨がザー!

ほうほう、出かけずに本を読めということですね神様。ということにして、黒雲とザ
ンザン降りの中、電球一個だけ点けたその下で、雰囲気たっぷりに『ナイフ』の続き
と『ビタミンF』(いずれも重松清)を読む。

生協のお兄さんが沢山の食べ物を運んできてくれたのを潮に読書中断。ひょっとして、
と予感がしたので屋上に出てみるとあにはからんや、排水口が枯れ葉で詰まって水が
流れておりません。屋上には魚が跳ねて川サギがそれを狙っています。さしずめプー
ルのようになった屋上の水はけをなんとかしなければ、このマンションは築39年く
らいであり屋上の防水加工はべろべろに剥げており、まとまった雨が降ると必ずや雨
漏りがするのです。最上階の人は当然天井から。1階の人たちは壁伝いに謎のシミと
して。熊手とシャベルを両手にそれぞれ持つと傘が持てないのも道理。頭からずぶ濡
れになって水をはきました。

こうして排水口をなんとかして、はれて屋上プール状態の危機を脱しまし、ついでに
空も晴れてきました。彼女と彼女の妹と軽く飲みに行って終了。そんな日でした。


□才能を換金する勉強55日目
天変地異なら引き込む機転を。

□自転車日記55日目
自転車を組み立てて郵便局へ。荷物を発送してから重松清の『ビフォアラン』を探し
ブックオフや他の書店をかけずり回るが、無し。しようがないので帰宅。なんだか
ヒマげな中学生のような休日だった。実に14日ぶりのマイ自転車ライディングであ
る。3キロ行くか行かないか。

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■ 浅野正蔵サバ長 ■
ブンカサーバー http://www.bunnka.com
kasano@tkk.att.ne.jp

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10/14(火)

□オモロスコープ280

たかだかモノの置き場所を尋ねただけのメールに、わざわざ皮肉を交えなくては返事
ができない人生というものがあるらしく、朝開いたメールを読んで後頭部でカチンと
音がする。ふと鏡を見たら後頭部に半鐘と木槌が取り付けてあり、高橋源太郎もビッ
クリ。

誰だー! こんなイタズラをしたのは!

とはいえ本日も実に順調に仕事をこなし、品川区あたりの打ち合わせではとてもウマ
い話にも出会い、祝杯がてら飲みに行って彼女ともラブラブで、きわめて上々な1日
でありましたことですよ。


□才能を換金する勉強56日目
人は皆ある日突然現実に直面するというか。現実と出会いがしら正面衝突というか。
そんな感じで当てこすり人生を卒業していくのだろう。

□自転車日記56日目
往路は曇りだったが帰路は雨だったので放置自転車。10キロ。

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10/14(火)

□オモロスコープ280

たかだかモノの置き場所を尋ねただけのメールに、わざわざ皮肉を交えなくては返事
ができない人生というものがあるらしく、朝開いたメールを読んで後頭部でカチンと
音がする。ふと鏡を見たら後頭部に半鐘と木槌が取り付けてあり、高橋源太郎もビッ
クリ。

誰だー! こんなイタズラをしたのは!

とはいえ本日も実に順調に仕事をこなし、品川区あたりの打ち合わせではとてもウマ
い話にも出会い、祝杯がてら飲みに行って彼女ともラブラブで、きわめて上々な1日
でありましたことですよ。


□才能を換金する勉強56日目
人は皆ある日突然現実に直面するというか。現実と出会いがしら正面衝突というか。
そんな感じで当てこすり人生を卒業していくのだろう。

□自転車日記56日目
往路は曇りだったが帰路は雨だったので放置自転車。10キロ。

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□オモロスコープ280

たかだかモノの置き場所を尋ねただけのメールに、わざわざ皮肉を交えなくては返事
ができない人生というものがあるらしく、朝開いたメールを読んで後頭部でカチンと
音がする。ふと鏡を見たら後頭部に半鐘と木槌が取り付けてあり、高橋源太郎もビッ
クリ。

誰だー! こんなイタズラをしたのは!

とはいえ本日も実に順調に仕事をこなし、品川区あたりの打ち合わせではとてもウマ
い話にも出会い、祝杯がてら飲みに行って彼女ともラブラブで、きわめて上々な1日
でありましたことですよ。


□才能を換金する勉強56日目
人は皆ある日突然現実に直面するというか。現実と出会いがしら正面衝突というか。
そんな感じで当てこすり人生を卒業していくのだろう。

□自転車日記56日目
往路は曇りだったが帰路は雨だったので放置自転車。10キロ。

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□オモロスコープ280

たかだかモノの置き場所を尋ねただけのメールに、わざわざ皮肉を交えなくては返事
ができない人生というものがあるらしく、朝開いたメールを読んで後頭部でカチンと
音がする。ふと鏡を見たら後頭部に半鐘と木槌が取り付けてあり、高橋源太郎もビッ
クリ。

誰だー! こんなイタズラをしたのは!

とはいえ本日も実に順調に仕事をこなし、品川区あたりの打ち合わせではとてもウマ
い話にも出会い、祝杯がてら飲みに行って彼女ともラブラブで、きわめて上々な1日
でありましたことですよ。


□才能を換金する勉強56日目
人は皆ある日突然現実に直面するというか。現実と出会いがしら正面衝突というか。
そんな感じで当てこすり人生を卒業していくのだろう。

□自転車日記56日目
往路は曇りだったが帰路は雨だったので放置自転車。10キロ。

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□オモロスコープ280

たかだかモノの置き場所を尋ねただけのメールに、わざわざ皮肉を交えなくては返事
ができない人生というものがあるらしく、朝開いたメールを読んで後頭部でカチンと
音がする。ふと鏡を見たら後頭部に半鐘と木槌が取り付けてあり、高橋源太郎もビッ
クリ。

誰だー! こんなイタズラをしたのは!

とはいえ本日も実に順調に仕事をこなし、品川区あたりの打ち合わせではとてもウマ
い話にも出会い、祝杯がてら飲みに行って彼女ともラブラブで、きわめて上々な1日
でありましたことですよ。


□才能を換金する勉強56日目
人は皆ある日突然現実に直面するというか。現実と出会いがしら正面衝突というか。
そんな感じで当てこすり人生を卒業していくのだろう。

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往路は曇りだったが帰路は雨だったので放置自転車。10キロ。

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□オモロスコープ280

たかだかモノの置き場所を尋ねただけのメールに、わざわざ皮肉を交えなくては返事
ができない人生というものがあるらしく、朝開いたメールを読んで後頭部でカチンと
音がする。ふと鏡を見たら後頭部に半鐘と木槌が取り付けてあり、高橋源太郎もビッ
クリ。

誰だー! こんなイタズラをしたのは!

とはいえ本日も実に順調に仕事をこなし、品川区あたりの打ち合わせではとてもウマ
い話にも出会い、祝杯がてら飲みに行って彼女ともラブラブで、きわめて上々な1日
でありましたことですよ。


□才能を換金する勉強56日目
人は皆ある日突然現実に直面するというか。現実と出会いがしら正面衝突というか。
そんな感じで当てこすり人生を卒業していくのだろう。

□自転車日記56日目
往路は曇りだったが帰路は雨だったので放置自転車。10キロ。

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□サイクリング オン ザ ワールドパッチベイ 013 2004.2.14

白金台公務員住宅跡地は売りに出されるとか買い手がつかないとか署名運動とか、いろいろなことになっていると、犬の散歩仲間(徳川綱吉の妻の生まれ変わりというべらぼうな金持ち)から教わりました。

恋人「チョコ要る?」
オレ「要らない」
などという会話をしながら串焼きトン屋でビールをがぶがぶ飲んでカラオケに行ったら体重が1キロ減ったので吃驚。


□サイクリング オン ザ ワールドパッチベイ 017 2004.2.18

メルセデスベンツの日本代理店に決まった、キッコーマンに決まった、セコムに決まった、角川書店に決まったって。あいつら、いーなー。と同期のトモちゃんが言った。トモちゃんと言ってもトモヨシであり、2浪の同期生だ。これは1989年頃の大学新卒の就職口の話。私立人文科学系の極北、ここ哲学科の学生達にもそんな就職先がバンバン決まっていった。1989年というのはそういう時代だったのだ。当時就職協定という紳士協定は4年生の7月になるまで学生と会うことはまかりならんという建前になっていたが、実は水面下で5月や6月ごろから「業界セミナー」という形で青田買いは始まっていた。業界セミナーを1つの会社だけでやるんだから、世の中には常に裏というものがある。そういうことを知らないボンヤリした学生だった僕はと言えば、「え? 就職活動? あれって夏からやるもんじゃないの?」と呑気なことを言っては周囲の学生やら実家の母親を呆れさせていた。出版社に入るのが目標だった僕は、周囲の同期生達が熱に浮かされたように会社訪問をしまくっているのにつられてかけずりまわり、なんとか人並みに「内定」というものをもらった。システムエンジニアの会社2軒、ソフトウェア卸業社1軒。そう、大手の出版社なんぞはとっくの昔に「セミナー」で優秀な学生を確保して締め切っていたのだった。

結局、システムの会社は蹴って、大手ゲーム会社の出版部門の立ち上げにアルバイトで潜り込むことになった。そう、僕のキャリアの振り出しはフリーターだったのだ。

数回の転職を経て今はモバイルコンテンツ制作をやっているのだから、今思えばシステムエンジニアやってても同じだったかもな。